- fywave
誰が研究の対象ではないのか
気づけばブログを書くのは半年ぶりになってしまいました。
東大は今週はタームの試験期間で授業がなく、少し余裕があるので、
夕方頃からは色々本など読みながら考え事をしています。
私はここ数年は「ゲーム × 大学生のキャリア教育」が中心的なテーマなのですが、
自分が誰を対象にしていて、誰を対象にしないのか、特に「誰を対象にしていないのか」に、
自覚的になりたいと思い、「大学に来ない子達」に関する書籍・論文を中心に読んでいました。
例えばこんなのとかです。
ノンエリート青年の社会空間―働くこと、生きること、「大人になる」ということ
そこで何を感じたかなどは、昨今言葉尻を捉えられる時代なので書きませんが、
最近読んだ記事で色々と考えさせられたことの1つに、
公立中学生の5割、高校生の2割は簡単な文章が読めていないというのがあります。
"AI研究者が問う ロボットは文章を読めない では子どもたちは「読めて」いるのか?"
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yuasamakoto/20161114-00064079/
私が扱うようなゲームは授業で行う場合、最初のルール説明15分で内容を理解し、
そのルールに対して、どのようなアプローチを取るのかを考えなければなりません。
(なりません…というか、考えないと学びが深くなりません。)
基本的には「普段ゲームをしない大学生ができるように」ルールは考えていますし、
今のところ実践が出来なかったことはありません。
ただ、一度だけ以前R社さんから「意識の低い子達」だけを集めるので、
ゲーム学習が出来るかみたいと言われて実施したことがあります。
(R社さんの使った文言ですので、ご意見あればR社さんにお願いします 笑)
そのときに参加してくれた、とある参加者の感想に「カードの言葉がよく分からなかったけど、わりと楽しかった」と
書かれていたことがあり、その時はショックを受けました。
今のところ「文章の読み方」であったり、「簡単な論理(ルール)の理解法」を研究範囲に入れるつもりはないので
私の研究対象は「大学生」でありかつ、上記のようなことが出来る学生を対象にしているということを、
自覚しておく必要があるなと感じた近頃でした。
扱う対象についてよく知っておくことが必要であることは間違いありませんが、
特に研究ではわずかな対象しか扱えませんので、その周りには多くの人がいます。
皆さんの研究・実践・ビジネスは「誰を対象にしていませんか?」
ちょっと、考えてみると面白いかも知れません。
それでは。