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VR上で死ぬのは怖いという話


 数日前に我が家にもPS VRがやってきました。

予約戦線に敗北して落ち込んでいたときに米アマゾンなら普通に売ってるしリージョンコードもない、

というWeb記事を見て、深夜のテンションで購入してしまいました。

(残念ながら、11月20日現在では、もう向こうでも売り切れているようです…。)

まだ大統領選前で円も高かったときなので、時期としては正解だったのかもしれません(笑)

 それで、今週末はそれなりの時間 PS VRに興じていた訳なのですが、

これまでのところモニターでやるゲームとの最大の差は「死ぬの圧倒的に怖い」

ということのような気がします。2つほどのタイトルで刺されましたが、かなり体がびくっとします。

「あ、刺された…、けど本体(自分)は当たり前ながら死んでない…」みたいな感覚です。

モニターでプレイする1人称視点ゲームで同じ感覚はないので、これはVRならでは感がしました。

私はかなり没入するタイプなので、気持ちへの影響が比較的大きいのかも知れませんが、

そういうプレイヤータイプによる違いとかも明らかになると面白いですね。

ただ、数年前までに体験したVRでは全くそんな感覚はありませんでしたので、

映像の解像度的に気持ちが動くゾーンに入ったのかも知れません。

 これまでVR(ゲーム)の研究はほとんど追ったことがなかったので、

何が明らかになっているのか分かりませんが、VRゲームでの体験(学習)は、

モニターのゲームでの体験(学習)とかなり異なるのではないかと思います。

最も最初は、新奇性の効果があるので、慣れてしまうとどうなのかは分かりませんが…。

 ユーザとしても研究者としても今後の展望がとても楽しみです。


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先週で前期の授業が終了した。4月に東大から異動してきて4ヶ月、非常に良い経験が出来た。前職では授業支援という後方支援を仕事にしていたが、現職では前期は主に1年生全員が受講する「自立と体験1」の授業運営と担当(3コマ)をして、前線で戦ったように思う(おそらく、まだ最前線ではない)。 東大を辞める前にとある同僚から、「福山先生は大丈夫だと思いますが、自分が東大で授業が上手いと思っていた先生が他大に異動

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