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「遊びと人間」を再読しました


 ロジェ・カイヨワの「遊びと人間」といえば、遊びを 、1)自由な活動、2) 隔離された活動、3)未確定な活動、4)非生産的活動、5)規則のある活動、5)虚構の活動と定義したことや、遊びの特徴をアゴン(競争)・アレア(運)・ミミクリ(模擬)・イリンクス(眩暈)4つに分類したことと、それらを、パイディア(遊戯)とルドゥス(競技)の2軸でさらに区切ったことが非常に有名で、ゲーム関係の研究でもよく引用されます。

 ただ、これらは実は本の前半までに書かれていることで、後半は遊びそのものの話は割とどこかに行ってしまい、遊びの4分類の各要素と社会の発展を論じているということは、忘れられがち(知られていないといっていいのか?)です。博士課程のころに本書を読んだ私も(当時の関心と違ったので)すっかり記憶から抜け落ちていました。

 今回、ホイジンガとカイヨワを読む輪読会にお誘い頂いて、後半を初めてじっくり読んだのですが、本書ではミミクリ(模擬)とイリンクス(眩暈)が支配する呪術的で原始的な社会が、アレア(運)とアゴン(競争)が支配する規範のある社会に移り変わる。さらに、その後の社会の中でも出自というアレア(運)の要素が減り、アゴン(競争)の要素が増加するが、競争に負けた人への一発逆転装置として宝くじ(運)が一定の役割を持つという主張がなされており、文明の発展を直線的(ライナー)に捉えている点で私の考えとは違いますが一定の納得感はありました。特に現実の運の要素を減らすための装置が「遺産への課税」であり、究極的に運(出自)の要素を減らそうと試みたのが、社会主義…というのはよく考えたなと感心させられます。

 本書では、ミミクリ(模擬)とイリンクス(眩暈)(の遊び)は当時の社会で細々とした役割になっており、そうなるべきだということが描かれていましたが、私はそこに本書が書かれた戦争直後の「競争をして頑張っていれば、社会全体が発展してみんな良くなる」という時代の空気を感じました。

 現代社会では、競争(アゴン)社会への疲れから、大きなストーリーへの回帰願望、コスプレ、ライブ・フェスなどのイベントの流行、デジタルゲームの流行(最近の経験から、特にVRゲームは模擬と目眩の要素がかなりあると思っています。)などミミクリとイリンクスの復権が起きているのではないかと思わされました。あまり関連文献を調べたわけではないですが、そうであればとても興味深いことです。


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半期の振り返り(授業者として)

先週で前期の授業が終了した。4月に東大から異動してきて4ヶ月、非常に良い経験が出来た。前職では授業支援という後方支援を仕事にしていたが、現職では前期は主に1年生全員が受講する「自立と体験1」の授業運営と担当(3コマ)をして、前線で戦ったように思う(おそらく、まだ最前線ではない)。 東大を辞める前にとある同僚から、「福山先生は大丈夫だと思いますが、自分が東大で授業が上手いと思っていた先生が他大に異動

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